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研究内容

エネルギー貧困(energy poverty)に関する研究

 エネルギー貧困(energy poverty、またはfuel povertyとも言う)とは、家庭内において人々が生活する上で必要なエネルギーサービス(暖房、冷房,給湯,調理用など)を十分に享受できない状態のことです。典型的な例としては、冬季に金銭的その他の理由から十分な暖房を得ることができない状態や、夏季に同様の理由から十分な冷房を得ることができない状態、などがあげられます。

 エネルギー貧困は、所得のような集計された富指標からはとらえられない、いわゆる個々の特別な必需財の剝奪(deprivation)を評価するための概念です。エネルギー貧困は、人々の生活の質や健康などに大きく影響する問題であり、世界的にも、基本的人権(basic human rights)や生存権に関わる重大な問題であると認識されています。

 本研究室では、エネルギー貧困に関する研究をこれまで継続的に行っており、2000 年代以降、特に東日本大震災後、日本においてエネルギー貧困率やエネルギー脆弱性(energy vulnerability、エネルギー貧困への陥りやすさ)が上昇していることを明らかにしています。

 特に、2022年のウクライナ危機以降のエネルギー価格の上昇により、エネルギー貧困率、エネルギー脆弱性(エネルギー貧困リスクの高さ)の値は大きく上昇し、現在、歴史的にみても高い水準となっています。政府による多額の補助金導入により同脆弱性は緩和されているものの、現在も高い水準にあります。

図 エネルギー貧困リスクの推移(エネルギー脆弱性指標による)(2020年を100としている)
出所:筆者作成。

 日本のエネルギー貧困について、日本語でわかりやすくまとめたものとしては、以下のものがあります。

・「「エネルギー貧困」・「エネルギー脆弱性」・「エネルギー正義」:日本における現状と課題」、『科学』、Vol. 87、No. 11、岩波書店、2017年11月、pp. 1019-1027. https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/44407

 日本の地域別のエネルギー貧困率については、以下などを参照してください。高負担でみるか、低消費でみるかによって結果が異なりますが、一般的な指標でみると、エネルギー貧困率は、冬は北日本で高く、夏は沖縄等で高い傾向にあります。

・「エネルギー貧困からエネルギー充足へ」、宇佐美誠編『エネルギー正義―日本の現実と希望―』、明石書店、近日出版予定.

・宇佐美誠、奥島真一郎、「公平なエネルギー転換:気候正義とエネルギー正義の観点から」、国立環境研究所・小端拓郎編『都市の脱炭素化』、大河出版、2021年10月、pp.139-150. https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/2001868

 国際学術雑誌論文としては、以下のようなものがあります。

・S. Kahouli and S. Okushima、 “Regional energy poverty reevaluated: A direct measurement approach applied to France and Japan、” Energy Economics、 102、 October 2021、 105491.
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0140988321003777

・R. Castaño-Rosa and S. Okushima、 “Prevalence of energy poverty in Japan: A comprehensive analysis of energy poverty vulnerabilities,” Renewable and Sustainable Energy Reviews, 145, July 2021, 111006.
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1364032121002963

・S. Okushima, “Understanding Regional Energy Poverty in Japan: A Direct Measurement Approach,” Energy and Buildings, 193, June 2019, pp. 174-184. https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0378778818320619

・S. Okushima, “Gauging Energy Poverty: A Multidimensional Approach,” Energy, 137, October 2017, pp. 1159-1166.
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0360544217308952

・S. Okushima, “Measuring Energy Poverty in Japan, 2004-2013,” Energy Policy, 98, November 2016, pp. 557-564.
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0301421516304724

エネルギー充足(energy sufficiency)に関する研究

エネルギー充足(energy sufficiency)とは、人々が生活に必要な家庭内エネルギーサービスを十分に享受している状態のことであり、エネルギーサービス利用が適正な量である、という意味です。エネルギー充足の概念は、気候変動政策やエネルギー倫理・エネルギー正義(energy ethics / energy justice)の文脈から、近年注目を集めています。

下図がその概念図です。まず、エネルギー貧困(energy poverty)世帯とは、家庭内エネルギーサービス利用量が下限(=基本的エネルギーニーズ)を下回る状態にある世帯のことです。逆にいえば、家計がエネルギー充足の状態にあるためには、家計のエネルギー利用量がこの下限を上回る必要があります。

加えて、エネルギー充足の状態は、エネルギー過多(energy extravagance / energy overconsumption)の状態とも区別されます。図にあるように、エネルギー過多世帯とは、家庭内エネルギー利用量が生活に必要な量(基本的エネルギーニーズ)を大きく上回っている(図でいう上限を超えている)世帯のことをさします。家計がエネルギー充足の状態にあるといえるためには、家計のエネルギー利用量がこの上限を下回る必要があります。

図 エネルギー貧困、エネルギー充足、エネルギー過多
出所:筆者作成。

(補足)厳密には異なるものですが、図の二重の円はいわゆるケイト・ラワースのドーナツ(Kate Raworth’s Doughnut)と考えることもできます。

繰り返しになりますが、エネルギー充足とは、人々が生活する上で必要な家庭内エネルギーサービスを十分または適正な水準で享受している状態のことです。その水準とは基本的エネルギーニーズを上回る水準だが大幅に上回っているわけでもない水準を意味し、それはプラトン、アリストテレス以来の「中庸」概念にも類するものであると言えます。

このような「十分な量」、「適正な量」については、これまで哲学、倫理学においても議論されてきた概念であり、エネルギー充足は、まさにエネルギー倫理(energy ethics)研究として取り組むべき重要な課題です。さらに当テーマは、政治哲学、気候倫理分野における十分主義(Sufficientarianism)、上限主義(Limitarianism)などとも大きく関連する学際的テーマであると言えます。

本研究室においては、このような経済学と哲学・倫理学の交差する学際的分野の先端的研究に取り組んでいます。例えば、上の定義に基づいて、日本の全世帯を「エネルギー貧困世帯」、「エネルギー充足世帯」、「エネルギー過多世帯」の三つに分けたものが以下の図です。

図 日本におけるエネルギー貧困(energy poverty)、エネルギー充足(energy sufficiency)、エネルギー過多(energy extravagance)世帯の割合
出所:Okushima (2024) “Measuring energy sufficiency: a state of being neither in energy poverty nor energy extravagance” Applied Energy, 354, 122161, p.7.

 日本全体でみると、約8%がエネルギー貧困、約4%がエネルギー過多、そして約9割がエネルギー充足の状態にあると評価できます。このように、おおむね我が国の世帯はエネルギー充足の状態にあると言ってよいのですが、ここでの区別はあくまで相対的指標に基づくものであることに注意が必要です。例えば、仮に住居内の温熱環境に関して欧州並みの基準が望ましいとした場合、残念ながら、日本のほとんどの世帯はエネルギー充足の状態にあるとはいえず、むしろ日本のほとんどの世帯はエネルギー貧困の状態にあるとも解釈可能です。

 このように、エネルギー充足を評価するためには、人々の価値観や社会的・文化的側面を勘案する必要があり、世界一律の絶対的な評価基準が存在するわけではありません(エネルギー貧困なども同様です)。とはいえ、脱炭素と人々の基本的ニーズ充足のトレードオフ関係が予想されるなかで、このような学際的分野における研究蓄積が今後より重要になってくると思われます。

日本のエネルギー充足について、わかりやすくまとめたものとしては、以下のものがあります。

・「エネルギー貧困からエネルギー充足へ」、宇佐美誠編『エネルギー正義―日本の現実と希望―』、明石書店、近日出版予定.

 国際学術雑誌論文としては、以下のようなものがあります。

・S. Okushima, “Measuring energy sufficiency: a state of being neither in energy poverty nor energy extravagance,” Applied Energy, 354, January 2024, 122161.
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0306261923015258

気候倫理(climate ethics)、基本的エネルギーニーズ(basic energy needs)、生計排出(subsistence emissions)に関する研究

 生計排出(subsistence emissions)とは聞きなれない言葉かもしれませんが、気候倫理(climate ethics / climate justice)の分野においてShue(1993)以来、古くから使われている概念です。エネルギー貧困(energy poverty)とは、家庭内エネルギーサービスに関する基本的ニーズ(=基本的エネルギーニーズ、basic energy needs)が満たされていない状態のことですが、この場合、生計排出(=基本的炭素ニーズともいう)とは、人々が基本的エネルギーニーズを満たすために必要な二酸化炭素排出量、と定義できます。いいかえると、ある家計の生計排出とは、その家計が生活する上で最低限必要なエネルギーサービス(暖房、冷房、給湯、調理用など)を利用することに伴って排出される二酸化炭素排出量、のことです。そのため、生計排出が保障されないと、定義上、人々は基本的エネルギーニーズを満たすことができなくなってしまいます。

 各家計の生計排出の大きさは、エネルギー消費量の大きさからだけではわかりません。その家計が実際に使用しているエネルギー源の種別構成(電気・ガス・灯油等の利用割合)、再生可能エネルギー等へのアクセス状況(太陽光発電パネルを設置しているか、等)、さらに家計が実際に購入する電力の電源構成(発電における石炭・石油・天然ガス・原子力・再エネ等の割合)等にも依存しています。すなわち、各家計の生計排出の量は、住んでいる地域や所得、住居タイプなどによって大きく異なります。

図 生計排出(=基本的炭素ニーズ)に関する概念図 
出所:宇佐美・奥島(2021)「公平なエネルギー転換:気候正義とエネルギー正義の観点から」、国立環境研究所・小端拓郎編『都市の脱炭素化』、大河出版、p. 146. https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/2001868

それでは、人々の生計排出(subsistence emissions)、つまり最低限の生活のために必要な二酸化炭素排出量はいったい何トンぐらいなのでしょうか?本研究室の研究成果(Climate Policy誌にて出版)によれば、日本の世帯の生計排出は(一人当たり)0.5トン以下の家計もあれば、2トン必要な家計もある、といったように、生計排出の量には大きなばらつきがあります。寒冷地の暖房ニーズの大きさを反映して、生計排出量は北日本で多くなる等の、地域別の違いも存在します(下図。ここでは世帯人数を二人に基準化)。

図 生計排出(二酸化炭素トン)の地域間比較
出所:宇佐美・奥島(2021)「公平なエネルギー転換:気候正義とエネルギー正義の観点から」、国立環境研究所・小端拓郎編『都市の脱炭素化』、大河出版、p. 147. https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/2001868

さて、このような生計排出の量の違い、格差を考えると、気候倫理、エネルギー倫理学的観点から、次のような問いが生じます。

所得や家族構成、住む地域によって、生計排出(最低限の生活のために必要な二酸化炭素排出量)が大きく異なるのだとすれば、このような違いを考慮せずに、経済効率性等の基準から、すべての世帯に一律に気候変動緩和政策(炭素課税などの二酸化炭素削減策)を課すのは果たして妥当なのか?

生計排出の違いはどの程度本人の責任に帰着されるべきものなのか?例えば北海道や東北地方に住んでいるために多量の暖房サービスが冬に必要なことや、住んでいる地域の原発が現在稼働しているか否か等の状況によって、各家計・個人の生計排出の量は大きく異なる。気候変動政策を考える上で、このような有利不利は、公平性の観点からどの程度考慮されるべきなのだろうか?

以上が気候倫理・エネルギー倫理の観点からの問い(の一例)です。日本も2050年ネットゼロの脱炭素目標を掲げ、直近の2030年目標に向けても、経済・社会システムの低炭素化の進展、大胆なエネルギー転換が求められています。一方で、包摂的な低炭素化・エネルギー転換(inclusive low-carbon energy transition, ILET)、公平な移行(just transition / fair energy transition)とは、単に温室効果ガス排出量の数字だけ下げればよいというものではありません。そうではなく、すべての人がエネルギー充足を満たせるような(「誰一人取り残さない」)形で温室効果ガス排出量を減らしていくという、より狭い道(narrow path)を通る必要があるのです。「上限」(気候変動抑制)の観点だけでなく、「下限」(人々の基本的ニーズ充足)の観点も含めた低炭素化・エネルギー転換こそが真の公正な移行だといえるでしょう。

日本の生計排出、公平なエネルギー転換(just transition)について、日本語でわかりやすくまとめたものとしては、以下のものがあります。

・宇佐美・奥島(2021)「公平なエネルギー転換:気候正義とエネルギー正義の観点から」、国立環境研究所・小端拓郎編『都市の脱炭素化』、大河出版、pp.139-150.
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/2001868

 国際学術雑誌論文としては、以下のようなものがあります。

・S. Okushima, “Reevaluating fair carbon emissions for households in Japan: Basic energy needs and subsistence CO2 emissions,” Climate Policy.
https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/14693062.2024.2425017

・S. Okushima, “Energy poor need more energy, but do they need more carbon?: Evaluation of people’s basic carbon needs,” Ecological Economics, 187, September 2021, 107081.
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0921800921001397

二重のエネルギー脆弱性(double energy vulnerability)に関する研究

 エネルギー貧困(energy poverty)と交通貧困(transport poverty)の交差(intersection)に関する研究も、近年、欧州を中心に行われています。以下は、日本を対象とした二重のエネルギー脆弱性(double energy vulnerability)について評価した、英国の代表的研究者との共著論文です。例えば、北日本や沖縄の地方部に住んでいる高齢、低所得世帯は、二重のエネルギー脆弱性が非常に高いという結果が出ています。

・S. Okushima, and N. Simcock, “Double energy vulnerability in Japan,” Energy Policy, 191, August 2024, 114184.
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0301421524002040

Environmental / Energy Economics & Energy / Climate Ethics Lab., University of Tsukuba, Japan
Copyright © Environmental / Energy Economics & Energy / Climate Ethics Lab.
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